平和の灯(ともしび) 水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するため造られたこの火は、 1964(昭和39)年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており、 「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっている。 国12宗派から寄せられた“宗教の火”、 溶鉱炉などの全国の工場地帯から届けられた“産業の火”が 1945(昭和20)年8月6日生まれの7人の広島の乙女により点火されたのであった。 そして、核兵器廃絶と被爆者援護の充実を訴えて、 広島県内の市町村を一周する「平和の灯リレー」が毎年行われている。
原爆の子の像 2才で被爆し、10年もたってから、 白血病により短い一生を終えた少女「佐々木禎子さん」をはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、 世界に平和を呼びかける象徴的な像である。 禎子さんが死の直前まで、生きる願いを託して折り続けた千羽鶴がモチーフになっていて、「千羽鶴の塔」「折り鶴の塔」とも呼ばれたいる。 碑文 「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」 この付近にあった三井生命広島支店は全壊全焼し、建物の中心にあった金庫室の残がいがかろうじて残った。
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 碑は、原爆によって生命を奪われた子どもと教師を慰めるとともに、 「三たび原爆を許してはいけない」という平和教育を、現在及び未来に推し進める決意を表すものである。 銘文 「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」 (被爆歌人 正田篠枝) 国民学校初等科の3年生以上の児童は空襲を避けるため強制的疎開した。 幼いため親元に残された1・2年生と、建物疎開作業に従事させられた高等科の生徒が原爆の犠牲になったのであった。
祈りの像 碑は、原爆によって生命を奪われた子どもと教師を慰めるとともに、 「三たび原爆を許してはいけない」という平和教育を、現在及び未来に推し進める決意を表すものである。 銘文 「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」 (被爆歌人 正田篠枝) 国民学校初等科の3年生以上の児童は空襲を避けるため強制的疎開した。 幼いため親元に残された1・2年生と、建物疎開作業に従事させられた高等科の生徒が原爆の犠牲になったのであった。