バタンジリン砂漠の西端を南北に貫く道はモンゴルの歴史を解説している書籍を読み漁っていうちに、チンギス・ハーン最後の遠征ルートが砂漠を縦断する道と深く関係していることがわかってきた。それに砂漠の南北路はマルコ・ポーロが東方見聞録の中に記している道だということもわかってきた。ますます、興味が湧き上がってきた。
ただし、モンゴル騎馬軍団がバタンヂリン砂漠西端の道を通って、南に向かったと断言できない。目的地に向かうなら最短距離を選ぶという感覚からすると、黒水城を制覇したあと、砂漠を斜めに下って行ったということだって考えられる。
チンギス・ハーンは1219年のホラズム遠征を皮切りに1225年まで長期間の遠征に出ていた。そして1227年、先祖からの仇敵、金国に攻め入る作戦を展開するため、その足がかりとなる西夏国に攻め入った。
砂漠道の十字路というべき地点に立つ城郭都市、黒水城を手に入れるのは当然のことだ。チンギス・ハーン率いるモンゴル騎馬軍団は黒水城に攻め入り、そこから西夏国の本丸である興慶府を陥落させたと言われている。
だが、チンギス・ハーンは作戦半ば、事故か病気で生涯を閉じた。
今回の砂漠旅はヘディンの探険ルート。マルコ・ポーロが書き残した道、それにチンギス・ハーン軍勢が通ったと思われるそのルート。さらに、チンギス・ハーンが死去した後、どんなルートで北に戻ったのか。それをいにしえの交易路と現代の砂漠道を走って辿れることができるだけで、この砂漠旅に対する興味は無限大に広がった。
まさか、何百年前の砂漠に刻みつけられた道が残っているとは思えない。だが、そこに歴史が存在していたということを感じられるだけでも嬉しいではないか。付け焼刃ではあるが、少々の予備知識を持って、辺境に足を伸ばせる……。
これは男にとって壮大なロマンに足を一歩、踏み出すことではないだろうか。
いよいよ出発の時を待つだけとなったのである。
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誘われるがまま、ノンベンダラリと過ごしているうちに出発の日が来た。
成田から北京。そこで中国の国内線に乗り換えて内蒙古自治区の州都、フフホトまで長い空の旅をした。午前中に成田を経ち、四時間ほどで北京。
ここからが長かった。フフホトへ向かうのは最終便で、午後九時過ぎに北京を発つのだ。
時間をもてあました。何度となく空港散策やらお土産屋やレストラン、喫茶店に足を運び、時間を潰す。そして、やっとの思いで飛行機に乗る。
中国の国内線は、凄まじい。座席は全席指定のはずなのだが、乗客は先を争うのだ。そのワケは手荷物をしまう座席上のトランク。これをいかにして確保するか。これが先を争う原因だった。それを知らない日本人は荷物を足元に置くしかなかった。
夜遅い到着にも関わらず賓館では、お決まりの歓迎式典。馬頭琴や打楽器など民族楽器の演奏と歌。無事の到着を祝う白酎の乾杯で出迎えられる。習慣であり、儀式である。
到着の翌日から現地の人間と一緒に砂漠旅の準備を開始する。
砂漠旅用に用意されていたのは日本人用の北京ジープ二台と中国スタッフ用ランドクルーザー一台。しかも二台の北京ジープはアルミホイールにラジアルタイヤ。フロントガードを兼ねた補助ランプステーを装備した、お洒落グレードというべきクルマだった。
見てくれだけはいいがエンジンは古典的な2、2リッター4気筒。室内は実用自動車そのものだ。シートもシートというよりも腰掛けに近い。
ソビエト時代、軍用車として使われていたGAZ69のフルコピー。運転席に座ったり、後席に座ったりとクルマの感触を掴んでみるが、やはり素朴な四輪駆動車である。
早速、クルマの整備やら食料や飲料水、薬。さらに、オイルやスペア部品などのクルマ用品の買出しに明け暮れる。
ところで、中国のクルマを取り巻く状況だが、辺境の地方都市を走るクルマは少数である。乗用車よりトラックのほうが多い。
しかも古い、名前もわからないクルマばかりだった。
北京ジープはほとんどが実用モデルであり、日本人が乗るお洒落グレードは道行く若者が羨望の目で見る。それに中国では基本的に外国人にクルマの運転を許していない。
外国人、観光客には専門の運転手が着く。
運転手らは自慢気にステアリングを握っていた。
中国で運転手は地位の高い職業でエリートである。
現地スタッフ用ランクルの運転手、そして日本人用のクルマに運転手がつく。
自らの手で砂漠を走ることが出来ないのは、残念だが長い道中の間には運転するチャンスは必ず訪れることは今までの経験で知っている。
出発前夜。地図と日程表が配られた。バタンヂリン、モウス、トンゴリの3つの砂漠をひっくるめた面積は確かにタクラマカン砂漠に次ぐ面積の砂漠と言えないこともない。
今回、バタンヂリン砂漠とそれに連なる砂漠をぐるりと周るのである。
宿泊はすべて賓館か招待所、砂漠の野宿は一切無しである。
砂漠にテントで、夜空の星を眺めながら一夜を過ごすのは最高の気分なのだが、全日程中、野宿や野営はない。中国人は野宿が好きではないらしい。
明日からの無事を祈願して、アルコール度数の高い白酎で乾杯をした。
第3回 砂漠に向かって膨らむ期待……
Written by 西村 光生
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