西に向かってほとんどまっすぐに伸びた砂漠道の周囲は羨望一里の荒野が果てることなく続いている。砂塵がわずかな風に舞い、地平線をぼやかしているところまで出発以来、変わらない。飛び交う鳥もいなければ、地を這う動物さえ見ることもない。
これまで、砂漠道ひたすら西に向かって走ってきたが、ヘディンが辿ったと思われる昔の交易路には出くわしていない。
すでに、砂の下なのか、それとも知らないうちに通過したのだろうか。
もしかすると「今のはひょっとして道か?」と思える場所を何度か通過した。昔の交易路なのか、それとも砂漠の集落を結ぶ道なのか。見当がつかないしブーに聞いても答えは曖昧だ。途中で出くわしたラクダに乗った男、ロバに荷物を運ばせていた老人。彼らが通っていたのは確かに道だが、昔からの交易路、ヘディンの探険路という保証はない。でも、そう思い込んで先に進むのは夢があって楽しい。
探険路だった可能性がないわけではないのだから……。
玄奘三蔵だったか、タクラマカン砂漠の過酷さを「空を飛ぶ鳥さえなく、地を這う獣すらない。死して果てた人骨だけが道しるべ……」と、記していたが、そんな光景が周囲のすべてだ。タクラマカン砂漠もバタンヂリン砂漠も変わりはない。
先行するクルマが巻き上げる砂埃を避け、北京ジープは西を目指す。
昼時、砂丘になり始めのような、砂の吹き溜まりで昼食。食後、運転手が砂溜りでクルマを動かし、スタックした。
それは、ほんの初歩的なミスなのだが、当人らは気がついていない。フカフカの砂の上で脱出を試みているが、もがけばもがくほど前後の車輪が砂に埋まっていく。
見るに見かねて、手を貸した。ランクルに着いているウインチ。カバーを外してから使えるかどうかを確かめた。
これで引っ張ってやれよ……」
ところが、いままで使ったことはないし、使い方がわからないという。
地面の硬い、しっかりとした場所にランクルを移動してワイヤーを延ばす。北京ジープのリヤにあるフックにワイヤーの先端フックを掛け、ウインチを操作する。PTO式ウインチはエンジン動力を使うことを彼らは知らなかった。トランスファをNにしてから操作する。ワイヤーをピンと張った状態で、北京ジープのトランスファを低速にシフト。バックギヤに入れさせて待機させる。
合図をしたら、クラッチを繋いでゆっくりとバックさせる。ランクルのウインチを巻き取りにしてアクセルを開ける。引っ張られる北京ジープに引っ張る力が加わる。タイヤが空転し、じょじょにクルマが動いた。そのままゆっくりとウインチはワイヤーを巻き取る。
時折、ランクルも動くが、大丈夫だ。40センチ、50センチと北京ジープが引っ張られる様子を運転手は真剣にみていた。 作業開始から二十分ほどで、スタックした北京ジープはスタックから出た。
ランクルの運転手がPTO式ウインチの使い方を聞いてきた。その手順を順番に教えたが、理解できたのだろうか。
出発からほとんど変わらない景色の中を走り続けた。
午後、遅い時間。それまで荒野にしか見えなった西の方向に何やら黒ずんだ丘のようなものが見えた。どうやら、そこが目的地のエヂナらしい。
クルマが進むに連れて黒ずんでみえたものが双眼鏡で確認すると、木々であることがわかった。オアシスである。
オアシス、そして水を見たわけではないのだが、不思議な安堵感が襲う。
昔の旅人、ラクダを連ねた隊商はどんな気持ちでオアシスに茂る木々を眺めたのだろうか。ここまで、フフホトから二泊三日の砂漠旅でさえオアシスという響きで心が安らいだのだから、徒歩やらラクダの旅では、オアシス到着はどれほどの安心感を旅人に与えたのだろうか。 早くて十日、遅れれば半月以上に及ぶ砂漠旅。水の臭いで歩みが速まるラクダ達。それにつられた男達もオアシス到着を神に感謝したに違いない。
第10回 エヂナ旗の中心はダランクブ
Written by 西村 光生
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