エヂナ旗の中心はダランクブ。町一番の交差点が繁華街、一気に駆け抜けられるほどの小規模な田舎の町だ。しかし、現在のエヂナは西夏国時代の、チンギス・ハーンが征服したと言われているエヂナではない。
新たに開拓団が投入されて誕生した新しい場所である。 現在のエヂナは1959年に作られた旗(日本で言えば県か郡。旗とは古いモンゴルの都市単位、区分に相当する)だ。
それ以前は遊牧民のゲルが数張りあっただけとヘディンは探険記に記している。 かつてのエヂナは黒水城だということは他の探検家も自身の記録の中で述べている。
チンギス・ハーン軍団に征服され、元、明とそれなりの繁栄をみせていたのだが明の末期には自然環境の大幅な変化で、豊かな水を湛えていたエヂナ川の水が流れを変え、この地から水が無くなってしまったことが最近の調査で明かされた。
壊滅状態となった黒水城周辺から人々は立ち去った。
ヘディンの探検記に記されたエヂナは黒水城を指しているが、現在のエヂナのどこだったのか見当がつかない。村でも集落でもない。名前すらない小さなオアシスで、その周辺の暮らす遊牧民が水を求めて集まってくる程度の場所だったのだろう。
そこでヘディン探検隊はオアシスにたむろしている遊牧民から小麦粉を手に入れた。遊牧民が小麦粉を持っていたということは、その時代、交易に向かう隊商が多く通過したり、ひと時の休息の場としたりしていたことの証明だと言える。
最初に街で一番大きな賓館に向かう。とはいっても賓館はひとつしかない。賓館の到着するやいなや、歓迎式典は後回しにして市街地の散策にでた。
けして賑やかは繁華街ではないが、商店が軒を連ね、繁華街の中心には映画館や百貨店もあった。さすが、小さな町でも中心街のダランクブは町としての体裁を整えていた。町の印象は昭和の時代、勝新太郎主演で人気を博した「兵隊やくざ」のワンシーンを彷彿させる。そこらの家からズボンのベルトを締めつつ「待ってください上等兵殿!」と、あの大宮喜三郎がひょっこりと出てきそうな雰囲気がある。
街外れの道路端、ちょっとした広場のような場所で露天市が開かれていた。 露天を出しているのは、モンゴルから国境を越えてきた人々だという。どの露天もその後ろには遊牧民の移動住居、ゲルが建てられている。
奇数月はモンゴルからエジナへ。偶数月はエジナに住むモンゴル族がモンゴルに出向いて商売をするという。ということは、古い地図にあるエヂナとモンゴルを結ぶ道は未だに生きていて周辺の人々に使われているということだ。
その道こそ、十二世紀中盤から後半にかけてチンギス・ハーン率いるモンゴル騎馬軍団が諸外国遠征に使った道であり、チンギス・ハーン最後の遠征となった西夏国に攻め入るために使った道ではないのか。 その国境を一目、見たかったのだが、その国境超えは周辺住民にだけ与えられた権利であり、外国人の通過は許されていないのだ。
露天で売られているものは日用雑貨を中心に衣服やらモンゴルの菓子やらなんやら。ゲルは昼間、食堂となってミルク茶やら、モンゴル式クッキーや加工乳製品などを楽しむことができるのだという。国境を越える旅ができない老人には、懐かしい故郷に会えるわけだし、地域に暮らす親戚縁者の情報交換の場にもなるというわけだ。
未だに、チンギス・ハーンの征服路が使われていると聞いて、いささか興奮した。チンギス・ハーンとその軍勢は何度となく、エヂナ近くを通ってシルクロードに出て、そこから西を目指し領土を拡大していったのであろう。もしくは、エジナかエジナの北からステップルートを辿って西へ向かったのかもしれない。
そんな思いを胸に、日没とともに賓館に戻る。
賓館では地元の顔役、長老、役人が集まっていた。滅多に外国人が訪れるところではないだけに、これから賓館の中庭にある固定式のゲルで歓迎式典がはじまるのである。
トルグートモンゴル系の顔役、純粋なモンゴル族の長老、中国系の役人らが顔を並べ、ギター、アコーディオン、馬頭琴のバンド演奏。大きなテーブルには羊を丸々一頭を蒸し焼きにした歓迎料理が並ぶ。互いに挨拶を交わし中国様式の則った、互いの健康と両国の発展と世界平和を願うというコメントを述べ、その度に乾杯をするのだ。
酒は雑穀を使った草原白酒である。日本人は成田を発つときに買ったシーバスリーガルを相手のグラスに注ぐ。
羊料理を食べ、酒を酌み交わし、バンド演奏に手拍子を加える。言葉は通じなくとも、それとなく話は通じたような気分になる。およそ4時間続いた飲めや、騒げやの歓迎式典は終わった。
いよいよ、明日は早朝から、幻と言われていた黒水城に向かう。話によれば黒水城はエヂナの南東三十キロほど、砂漠の中にあるらしい。
古地図でもあれば、モンゴルから元、そして明代当時の道らしきものが、どういう具合になっていたのか、おおよその見当がつけられるのだが、黒水城が寂れて人々がこの地を去ってから何百年も経っている。
顔役や長老に尋ねてはみたが、そんなものは存在していなかった。
宴の終わり、明日我々を黒水城まで案内する若い考古学者を紹介された。その男は正体なく、ベロベロに酔っ払っていた。モンゴル民族は酒を飲み、正体を失うほど酔っても咎められないといわれているが、モンゴル風徹底酔っ払いを見た。
第11回 いよいよ黒水城へ。
Written by 西村 光生
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