早朝に目が覚めた。薄っすらと酒が残っている感じがする。顔を洗って、食堂に向かう。コーヒーなどない。だが、熱いお茶を飲めば酔いは完全に抜けるはずだ。利尿効果が高い中国茶を何杯もお代わりし、オカユ、油条、茹でタマゴ、中国ハムを食べる。お茶は効果があった。酔いが抜けた。
出発前、まるで子供騙しのような、安物のゴーグルが配られた。どうやら昨日、露天でブーが買い込んだらしい。いい加減なゴーグルとはいえ砂漠では役立つ。 夕べ紹介された考古学者が足元をふらつかせながら現れた。酒臭いし、ほとんど夕べのベロベロ状態である。
フフホトからエヂナまでの道のりを学者に聞いてみた。「バタンヂリン砂漠の北を通る道は20世紀の始めころ、スェーデンの探検家、スヴェン・ヘディンが通った道なのか?」
ペットボトルの水をガブガブと飲んだ学者は、酒臭い大きなため息をつくと、そのルートについて話を始めた。「あの道はすでに砂漠の砂に埋もれてしまった。モンゴルがソビエトの力を借りて独立してから、アルシャン砂漠の北は変わった……」
ヘディン探検ルートはパオトウから西に向かっている。そのルートで行くと、バタンヂリン砂漠の北辺路は黒水城に到達している。さらに南北を貫く道が存在し、黒水城は砂漠の十字路に存在していたのではないかと推測できる。
※
2台の北京ジープとランクルはエジナの中心地から黒水城を目指す。しかし、道はない。周囲の風景だけが頼りといった雰囲気だ。
考古学者は最近になって黒水城の修復作業にかかわり、頻繁にエヂナと黒水城を行き来しているから心配するなという。ところが、少しの風に飛ばされてしまう砂地である。クルマで移動しているから大丈夫だというが、どうにもアテにならない。
迫っている砂丘群。風に運ばれた砂がフカフカしている。いつスタックするかわからないような場所を進む。
チンギス・ハーンが制覇した城郭都市、ヘディンの足跡が残る場所。それだけを目にすれば満足するのだが、滅多に外国人が訪れる場所ではないだけに、考古学者の先生は嬉しくて舞い上がっているのだ。
黒水城のはるか北。オゴデイから帝国を引き継いだフビライがモンゴル帝国を治めていた時代、その都を定めた場所はハルホリン。そこは水と草に恵まれた草原地帯である。モンゴル以前の北方騎馬民族、遊牧民らも都を置いた場所でもある。そこはモンゴル以前、スキタイ、ウイグル、匈奴、突厥などの本拠地でもあった。
元朝の時代、マルコ・ポーロは東方見聞録の中で、オアシスルートのカンプチュから河に沿って北上してエヂナを目指す道を記している。
その記述によればカンプチュから黒水城まで十二日かかるとある、多分、ラクダに乗ってのことか、それとも馬だったのか……。
マルコ・ポーロの描写によれば、周囲は穀倉地帯だったとも受け取れる、家畜や野鳥も多いと記している。
そして《さらに、その先を目指すなら、四十日分の水と食料を……》とある。
つまり《その先……》とは、ハルホリン。当時の、モンゴル帝国の都である。
そんなことを考えながらクルマに揺られていると、前方に周囲と同じ色の壁と黒水城の象徴である漆喰で修復された仏塔が見えてきた。
第12回 砂漠に消えるのか、西夏国の城郭都市 。
Written by 西村 光生
|