エヂナを出て五時間少々。 砂漠道がボロボロで穴ボコだらけの舗装路に変わった。
南に進むに従い、自転車に乗った人、馬、ロバに乗った人、トラクターが引く荷車に乗った人々が目についてくる。市街地が近いのだろうか。
トランシーバーから中国語が響く。どうらや、混雑が予想される市街地を抜けて、わき道に反れてシルクロードに出ようという作戦らしい。
夕方になると、夕市が始まり、道端に露店が溢れて、大変な混雑になるそうだ。中国スタッフは早く、ホテルに着きたいらしい。
混雑を避けるため、クルマ3台は右折、左折を繰り返した。そしてついに舗装された広い道に出た。現代のシルクロードである。ここから東に向かう。その先は敦煌を越えると西域となる。酒泉の先で、シルクロードは万里の長城と交差している。嘉峪関の手前だ。
その場所がどのようになっているのか、自分の目で確かめたい。そのことを中国スタッフに伝える。
全員がその意見に賛成した。それに、今日の目的地はもうすぐだ。その前に休憩を取るには時間的にもちょうどいい。
酒泉から西、シルクロードの両脇は砂礫の荒野なのか、土漠なのか見当がつかない。そんな荒野の中をアスファルト舗装の道はまっすぐに伸びている。
天候は晴れだが、砂埃が巻き上がっているせいで、曇りを思わせる。
一時間と少し走っただろうか。 砂煙の向こうにぼんやりと万里の長城が見えてきた。すると、その正面、シルクロードと万里の長城が交差する場所が見えた。道路と交差する部分、そこだけ、スコンと万里の長城が破壊されているではないか……。
万里の長城とシルクロードが交差する場所、日本人的な解釈だと、そこは歴史の交差点というべき場所である。何とかして保存したいと考えるだろう。
ところが、そういった印象はまったく受けなかった。
道だけがまともで、万里の長城は、邪魔物はぶっ壊せと、チカラワザで高くて分厚い塀を破壊して、そのまま放置されていたのだ。道路の脇は広場といったらいいのか、ここを通る大型トラックの休憩所ともとれる場所になっているだけだった。
道も塀も歴史あるもののはずだが、それにしては扱いが雑すぎる。
万里の長城、それは北京近くのそれは、しっかりとした石積みの立派な建造物で北京の観光名所である。ところが、シルクロードと交差する万里の長城は立派な建造物とはいいがたい。黒水城の城壁と同じ、アドベレンガを積んだものだった。
言い方を変えれば大きな土塀なのである。それにしても、大胆すぎる破壊跡を目にした。
予約が取れたホテルは、賓館とは明らかに違っていた。完全な観光ホテルと言っていい。
どうやら、敦煌を訪れる観光客を見込んで作られたホテルで、嘉峪関の隣だった。
嘉峪関見物と敦煌の観光を見込んで建てられたホテルなのだろう。
このホテルの予約が取れたのは観光シーズンから外れていたからだ。
嘉峪関を見物して、ホテルにチャックインする。それと同時に、フロントの脇から続く土産モノコーナーに電気がつく。
さぁ、土産を買ってくれと言わんばかりの媚びた態度だ。
部屋に入り、約一週間ぶりにシャワーを浴び、日本のビジネスホテルのような湯船に身体を沈める。
夕食は、いわゆる中華料理だ。多分、日本からの観光客が多いのだろう。ウエイトレスが怪しい日本語で料理を紹介してくれた。
第16回 目指すはアルシャンサーキ。
<つづく>
Written by 西村 光生
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